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女性記者セクハラ被害事件簿 第1号

 

 

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先日の記事(1993年からの第1次女性記者セクハラ問題ブームを振り返る)では、1993年から1995年にかけての時期における女性記者に対するセクハラ問題を巡る状況を紹介したところ、好評であった。

 

そこで、連休を利用して、過去25年における女性記者へのセクハラ事例について徹底リサーチを開始した。現在、継続調査中であるが、どうやら、過去25年間で、セクハラ事例は20件以上報道されているようだ。

 

セクハラ問題への警鐘と社会的啓発という観点から、本日から毎日連載で、過去の20数件のセクハラ事例を紹介する。まずは、第1の事例をご覧あれ。

 

 

【加害者】福島県警本部長横尾敏夫氏

 

【被害者】地元紙の20代記者

 

【明るみに出たきっかけ】

週刊誌『サンデー毎日』1993年1月31日号がスクープ報道

 

【事件の概要】 

1990年1月某日、夜8時過ぎに突然、記者の自宅に県警本部長から電話がかかってくる。近所にいるので今から君の家に行く、とのこと。慌てて服を着替えて本部長がいる公衆電話前まで飛んでいくと、記者の腕を強引に引っ張って、アパートに向かって歩き出した。本部長は、「コーヒー一杯だけ飲ましてくれ。変なことはしないから」と強引に部屋に上がろうとする。記者は半泣きで説得し、本部長を車に乗せ官舎まで送り届けると、「お茶でも飲んで行けよ」と入室を促される。

 

本部長は単身赴任で一人暮らし。居間に通され、コタツで隣り合わせに座り、世間話をしていると、突然、本部長は記者の手を両手でつかみ、盛んにさすりながら、「口説いていいかね」と耳元でささやいた。記者は冗談口調でこまかしながら、逃げるように退室した。

 

その後も時々、本部長から、「官舎に来い」と自宅に電話がかかってきたり、一方的にお菓子や酒が送られてくることもあった。91年1月に本部長が警視庁に転出後も、「福島県内にゴルフに行く用事があるから、そのついでに会わないか」「東京に来たら会おう」と電話してきたり、天皇の東南アジア歴訪に同行した際にバンコクで購入した高価なペンダントが贈られてくることもあった。

 

92年4月に横尾氏は神奈川県警本部長に栄転したが、その頃、同県警は容疑者取り逃がしや交通違反キップ偽造などの不祥事の真っただ中。本部長自身、二度の処分を受け、県議会などに盛んに陳謝していた時期に、横尾本部長からまたもや記者に電話がかかってきた。その時期、記者は結婚を控えており、そのことをはっきり伝えたところ、本部長曰く「不倫しましょう。」

 

年末のテレビのニュース回顧番組で、横尾本部長の陳謝姿を見かけ、許せない、という気持ちになった記者が週刊誌に情報提供。『サンデー毎日』では、記者に5時間に及ぶインタビューを行い、次いで本部長にも4時間にわたる取材を行い、一連の経緯を報道した。

 

なお、福島時代の横尾本部長は、当該記者に一途ではなかったようだ。本部長は、同じ記者クラブに所属していた他社の独身女性記者に対しても、同様に、「今、すぐ近くにいる。これから遊びに行ってもいいか」と電話をしたり、「今度、二人で飲みに行こう」と誘ったり、忘年会でデュエットを強要していたことが、『サンデー毎日』の記事で取り上げられている。

 

【顛末】

週刊誌で報じられた直後、横尾本部長は記者会見で他の記者より親しくしていたことは認めたが「セクハラについては覚えがない」と否定。城内康光警察庁長官から「誤解されることがないよう言動に注意するように」と口頭で注意され、国家公安委員会にも報告された。

 

同年(1993年)3月31日、春の定期異動に伴い、本部長は辞職した。警視庁の公式見解では「通常の人事」とのことであったが、事実上、引責辞職と見られている。

 

被害者である記者は、同年1月末に結婚のため退社。

 

【ブログ主のコメント】

本件は、「セクハラ」が1989年に流行語となって社会の注目を集めた4年後の1993年に記事化された事案で、わが国で初めて女性記者へのセクハラを大々的に報じた記事であり、その後の一連のセクハラ報道のきっかけとなった社会的重要性が高いスクープであった。

 

情報を提供する側という優越的な立場から記者にセクハラ行為をはたらいた加害者に対し、記者が週刊誌にチクって復讐を図った、という点では、今般の福田財務省事務次官によるテレビ朝日女性記者へのセクハラ事案と共通性が高い。

 

今般の事案でテレビ朝日記者は、週刊誌に情報提供する前に会社の上司に相談すべきであったとバッシングを受けているが、25年前の福島の事例でも、当時、当該記者に対して同様の批判は存在したのだろうか。ともあれ、会社や先輩・同僚記者への配慮が重しとなり、結婚を機に退社するまで声を上げることができなかったのであろう。

 

本部長と記者の見解が食い違う中、同様にセクハラを受けていた別の女性記者からも証言を引き出し、本部長はクロとの心証形成に成功したことは、この『サンデー毎日』の記事のあっぱれなところだ。

 

最後に、3点付記する。

 

まず1点目。横尾敏夫氏の警察辞職後の足取りを辿ってみると(単に、ググっただけであるが)、1998年には(社)全国警備業協会の専務理事、2003年には(財)社会安全研究財団評議員、2006年には三菱UFJ信託銀行(株)業務顧問を務めるなど、見事に「渡り」を続けておられたようだ。福田財務省事務次官も、どうせほとぼりが冷めたら、平然と優雅な天下り生活を謳歌するんだろう、と言われる所以である。

 

2点目。横尾敏夫氏の夫人である横尾和子氏は、出世頭の厚生省官僚で、社会保険庁長官、駐アイルランド特命全権大使を歴任し、2001年には、女性では歴代2人目の最高裁判事に任命されている。『サンデー毎日』の記事によると、横尾夫妻のおしどり夫婦ぶりは有名だったようであるが、「セクハラ本部長のご夫人」という色眼鏡で、和子氏の最高裁判事時代の判決を読み直してみたくなる。

 

3点目。横尾敏夫氏が1993年3月末で神奈川県警を去った後、後任として着任した本部長が、な、な、なんと泣く子も黙る(?)畏れ多くも杉田和博内閣官房副長官内閣人事局様でありまする!!「安倍政権のゲシュタポ頭目」との異名もあるようだが、命を失いたくないので、杉田和博氏のことは軽々しく書きません。

 

【予告】

女性記者セクハラ被害事件簿第1号はいかがだったであろうか。明日は、第1号事例と同じく1993年に明るみに出た広島県警署長による中国新聞女性記者に対するセクハラ事案について取り上げる。

  

【文献】

 ・『サンデー毎日』1993年1月31日号

 ・『朝日新聞』1993年3月26日朝刊

 

【本ブログにおける関連記事】

 ・女性記者セクハラ被害事件簿 第3号

  https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/30/200500

  ・女性記者セクハラ被害事件簿 第2号

  https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/29/195855 

 ・1993年からの第1次女性記者セクハラ問題ブームを振り返る

  https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/25/030210

 ・セクハラ、レイプ、不倫が頻発する女性記者という職業

  https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/23/012930