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女性記者セクハラ被害事件簿 第3号

 

昨日は、女性記者セクハラ被害事件簿 第2号として、1993年2月に報道された広島県警の警察署長による地元紙の女性記者に対するセクハラ事案を紹介した。今回は、同じタイミングで報じられた石川での事例について報告する。

 

【加害者】石川県警金沢中署の巡査部長(35歳)

 

【被害者】読売新聞の新人記者

 

【明るみに出たきっかけ

週刊誌『サンデー毎日』1993年2月21日号がスクープ報道

 

【事件の概要】 

1992年5月、念願の読売新聞に入社した新人女性記者が、金沢に赴任した1か月後のこと。『サンデー毎日』に掲載された彼女の発言を引用する形で、事件を振り返る。

 

「担当していた金沢中署の警備課長に『元気ないな。うまい物でも食べに行こうか』と誘われ、焼き肉屋に行ったら、そこにもう一人、部下の巡査部長がいたんです。課長は体調が悪くて、食事後すぐ帰ったんですが、巡査部長が『酒でも飲んで、パーッと元気を出そう』と居酒屋へ連れてくれました。結局、『もう一軒』『もう一軒』と連れて行かれ、午前二時過ぎに帰宅しました。」

 

三軒目のスナックで飲み比べをし、ベロベロに酔ってしまった記者を、巡査部長はタクシーでマンションに送り届けた。オートロックの入口で、「ここで結構ですから」と記者は断ったものの、巡査部長はどんどん強引にマンションの中に入りこみ、部屋の前までやってきたという。

 

「(巡査部長は)かなり千鳥足でしたけど、その割には私を抱え込む力は強かったです。ドアの前でもみ合いになり、そのどさくさに紛れて、後ろから抱きすくめられ、胸を触られちゃったんです。」

 

「私は、『やめてください』と言いながら、腕の前に腕を組んで、防ぐのに精いっぱいでした。そうしたら、巡査部長が『浮気しよう』とささやいたんです。思わずカーッとなり、必死でその手を振りほどくと、スキを見て、部屋の中に飛び込みました。しばらく放心状態で、去っていく足音を聞いた途端、涙があふれ出てきました。」

 

サンデー毎日』の1回目の取材に対して、彼女は、部屋のドアの前でもみ合いになり、隙を見て部屋に逃げ入ると巡査部長は去って行った、と受け答えをした。が、実際には、巡査部長は部屋の中まで入りこんで彼女を襲っていたのである。その事実は、当の巡査部長に対する『サンデー毎日』の直撃取材で明らかとなる。次に、巡査部長の弁解である。

 

「彼女の腕を抱え込み、強引にエレベーターに乗せたりしたんで、誤って胸に降れたかもしれんし、誤解を受けたのかも。記憶があいまいだ。」

「彼女を部屋の中まで運び込み、ベッドが床に下ろした。」「『はよ、寝えや』と言って、押し倒したというか、押し付けたような気がする。彼女はレイプされたと言っているのか? それなら、下ろした状況が誤解を招いたんだ。」

「長居したら変に思われるんで、すぐに出た。何もしてないよ。」

 

ちなみに、深夜まで酒を飲み、部屋の中まで送って行った理由について、巡査部長は、『サンデー毎日』に対し「彼女の出身大学は革マル派の巣窟。オレは過激派担当だから情報収集しようとしたんだ」とトンチンカンな言い訳を語る。

 

サンデー毎日』は再度、被害女性に聞いてみたところ、彼女は、瞳を潤ませながら、「実は、部屋まで押し入ってきて、そこで抱きつかれました。全力で抵抗し、何とか難を逃れたんです。」と真相を語った。

 

【顛末】

被害者である女性記者は、とても怖くて本人には抗議できず、また、その巡査部長は、ウチの社とは仲がいいし、下手なこと言えないって感じでした。」と振り返る。

 

本件以外にも、担当外の金沢東署の刑事二課長(警部)から、3日に1回、早朝や深夜に執拗に、酒席やドライブに誘われるなど被害が続き、結局、彼女は入社半年で退職した。

 

「先輩記者に『取材相手との酒のつきあいを大事にしろ』と指導され、一生懸命頑張ったつもりでしたが、いろいろ言われ、次々と裏切られ、つくづくいやになり、退職を決意しました。送別の宴にたまたまその警部がいて、『だから女は始末が悪い』と言われた時にはあ然としました。この男は私を記者ではなく、一匹の雌と見ていたのだと痛感し、情けなくなりました。」

 

サンデー毎日』の発売後、石川県警と女性記者が所属していた読売新聞は、朝日新聞の取材に対し、本件について次のようにコメントしている。

 

石川県警監察官室長「巡査部長からは、酒を飲み過ぎて千鳥足だった彼女を見かねて部屋まで腕を抱えて運んだだけで、抱きつくなどの事実はなかったと聞いている。」

 

読売新聞北陸総局長「事実関係を確認していないのでコメントできない。彼女が退職したのは資格をとるためだったと聞いている。」

 

つまり、被害を受けた女性記者は泣き寝入りで退職し、加害者の巡査部長は一切オトガメなしだったようだ。

 

【ブログ主のコメント】

本件は、泥酔させ、抵抗する力を喪失した女性を自宅まで運んだ「送り狼」がコトに及ぶ、という性暴力の典型パターンである。もはや、セクハラというよりわいせつ犯罪だ。しかし、被害者は加害者に恐怖を抱いていて抗議もできず、また、所属する会社と県警が親密な関係にあることから、上司に相談すらできず、独りで悩みを抱えるしかなく、結局、社を去ることになった。

 

もし、彼女が会社の上司に相談していたら、社として県警に抗議して、被害者は処分されていただろうか。おそらく、否であろうと思われる。前回取り上げた広島県警署長による中国新聞女性記者に対するセクハラ事案では、結局ウヤムヤにして揉み消されたが、中国新聞の場合は、一度は広島県警に抗議の姿勢を見せたという点では評価できる。

 

しかし、読売新聞の体質や保守王国・石川という風土を考えれば、本件の場合は、仮に女性記者が上司に相談したところで、どうせ「取材先を大切にしろ。波風をたてるな」と泣き寝入りさせられた可能性が極めて高いと思われる。彼女自身、このことを十分理解していたからこそ、上司に相談することなく絶望の淵に追い詰められて退社したのであろう。

 

ところで、被害者の元読売記者は、『サンデー毎日』の取材に対し、証言内容を二転させている。この点についても考察しておこう。最初の取材では、巡査部長とは部屋のドアの前でもみ合いになり、隙を見て部屋に逃げ入ると巡査部長は去って行った、と彼女は答えていたが、実は、部屋の中まで押し入ってきて、そこで危うくレイプされかけていたのである。ではなぜ、彼女は、被害を矮小化するような応答をしていたのか。

 

たぶん、彼女としては、部屋に押し入られ犯されかけたことは自らの名誉に関わる屈辱であり、心に負った深傷がフラッシュバックするのを防御するため、この忌むべき事実にフタをしておきたかったのではないか。一般論として、わいせつ事件では、しばしば加害者が被害時の状況説明を二転三転させることがある(結果として、裁判などで被害証言が信憑性が低いと判断さてしまうことにも帰結する)が、これは単に記憶があいまいということではなく、被害者の複雑な心理状況が関係していることを忘れてはなるまい。

 

最後に1点付記。加害者の巡査部長は、警備課に所属するいわゆる「公安デカ」、「治安警察」であった。共産党新左翼、右翼、北朝鮮スパイなどが相手の、普通の刑事とは異なった特殊な仕事であるが、『サンデー毎日』の取材に対し、驚くべき証言をしている。な、なんと、押し入った女性記者の部屋に、「乱数表などが入った大事なバッグを忘れ」て帰っていたのだ。

 

この乱数表というのが、革マルのものなのか、北朝鮮スパイのものなのか、はたまた公安組織の内部連絡用のものか不明であるが、襲おうとした女性の部屋に置き忘れることだけでもトンデモナイことなのに、雑誌の取材に対して平然とその事実を語っていることに戦慄をおぼえずにはいられない。日本の公安組織のレベルが知れる逸話だ。

 

【予告】

今回の、女性記者セクハラ被害事件簿第3号はいかがだったであろうか。次回の第4号では、秋田地検次席検事による女性記者へのセクハラ事案について取り上げる。

 

 

【文献】

 ・『サンデー毎日』1993年2月21日号(発売は同月8日)

 ・『朝日新聞』1993年2月10日朝刊(大阪本社版)

 

【当ブログ内の関連記事】

 ・女性記者セクハラ被害事件簿 第2号

   https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/29/195855

 ・女性記者セクハラ被害事件簿 第1号

   https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/29/021540

 ・1993年からの第1次女性記者セクハラ問題ブームを振り返る

   https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/25/030210

 ・セクハラ、レイプ、不倫が頻発する女性記者という職業

   https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/23/012930