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社会ノマド、社会の窓、流浪しながら漂泊する社会を見つめます

女性記者セクハラ被害事件簿 第1号から10号までの概要

昨日まで10日間にわたって、1993年から2003年にかけて発覚し報道された女性記者に対するセクハラ行為10件を取り上げた。明日以降引き続き、2017年までに発生した10件のセクハラ行為について説明する予定であるが、今回は、中間まとめとして、昨日までに紹介した10の事例を概説する。各事例の詳細に関心があれば、リンク先の本文を読んでいただきたい。

 

なお、本連載は、女性記者が被害者となったセクハラ・わいせつ事件の詳細な検討が、日本における男女間の権力関係やジャーナリズムの抱える構造的課題を分析する上で重要な基礎資料になりうるのではないか、との基本的認識のもとに執筆しているものである。スキャンダリズム、センセーショナリズムを売りする週刊誌の過去の記事を一次文献として、そこから引用している部分も多く、一見、本連載が興味本位のゲスな雑文の類ではないか、と不快感を持たれるかも知れない。

 

しかし、あくまでも筆者の真意としては、本連載はセクハラ問題への警鐘と社会的啓発を目的としていることを念のため強調しておきたい。

 

 

秋田県警本部長が、女性記者宅に突然押しかけるなどのセクハラ

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第1号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/29/021540

92年4月に神奈川県警本部長に栄転していた横尾敏夫氏は、秋田県警本部長時代に、地元紙の女性記者の自宅にいきなり押しかけたり、記者を官舎に入室させ、両手を握りしめるなどのセクハラ行為に及んだ。女性記者は逃げるように退室するが、その後も、頻繁に本部長から誘いの電話がかかってきたり、高価なプレゼントが送られてくるのであった。表沙汰になった後、本部長は事実上、引責辞職。

 

広島県警署長が、スナックで地元紙女性記者の胸を触る

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第2号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/29/195855

1993年1月の某日、広島県警広署と記者との新年会が開かれ、スナックでの二次会。55歳の署長が20代前半の中国新聞女性記者を自分の隣に座らせ、手を握ったり、さすったり。そのうち、片方の手で服の上から女性記者の胸をタッチ。チークダンスも強要され、抱きつかれる。記者は上司に相談し、社として署長に申し入れを行うも、署長はシラを切って不祥事を握りつぶしたのであった。

 

石川県警巡査部長が、新人読売女性記者の自宅に入り込み…

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第3号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/04/30/200500

1992年5月某日、読売新聞の新人記者が、金沢中署の幹部から焼肉の誘いを受け、同席していた巡査部長と2人きりで数件飲み屋をハシゴ。巡査部長は泥酔状態の記者をマンションまで送り届け、そのまま記者の部屋に入り込む。記者は抱きつかれ、全力で抵抗し、何とか難を逃れた。後日、他の刑事からもセクハラを受けるも、上司に相談してもラチがあかないと悟り、絶望の淵に追い込まれながら記者は数か月後に退社した。

 

秋田地検次席検事が、官舎を訪れた女性記者を押し倒し胸を触る

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第4号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/05/01/211700

1992年11月頃、取材のために秋田市内にある秋田地検の官舎を訪れた女性記者に対し、中島次席検事は居間で抱きついて押し倒し、胸を触るなどした。雑誌の取材を受け、地検として内部調査に着手。他の女性記者にも肩を抱いてキスするなどセクハラをしていたことも発覚。次席検事は仙台地検に更迭された後、1か月の停職処分を受け、本人の申し出により辞任した。

 

警察庁記者クラブ内で、読売男性記者が日テレ女性記者の体に触ったり…

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第5号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/05/02/210800

1999年8月末日の夜、警察庁記者クラブ内のソファで、懇親会が開かれていた。翌日から警察庁クラブに配属予定の読売新聞男性記者も参加していたが、酒が回ってくると態度が豹変。そのうち、日本テレビの女性記者に絡み、体に触ったり、「やさせろ」「ホテルへ行こか」と発言するなどセクハラを続けた。後日、女性記者やクラブに謝罪するも、結局、警察庁に配属されることはなかった。

 

北海道警察署長が、道新女性記者の部屋に入り込み…

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第6号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/05/03/173500

2000年1月上旬、北海道警察の静内警察署長の異動祝いが開催された。署長は北海道新聞の女性記者と2人きりで3軒目で飲んだ後、記者を自宅まで送り、強引に部屋に上がり込むや、彼女に抱きついたり、ベッドに誘うなどした。記者が上司に相談して発覚し、社として道警に抗議。処分の検討が行われていた最中に、署長は「責任を取ります」と遺書を残して自殺。記者も精神ショックでしばらく休職した。

 

読売新聞男性記者が、後輩女性記者の足を持って逆さ吊り

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第7号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/05/04/140300

読売新聞大津支局には1999年当時、後輩にすぐに暴力を振るうエキセントリックな30歳の男性記者がいた。支局内での夜の反省会の場で、酒が入って酔っぱらうと、25歳の後輩女性記者に『あの記事はなんだ』と難癖をつけて床に投げ飛ばし、彼女の両足をつかむと、そのまま逆さ吊りで持ち上げて引きずり回した。女性記者は、この暴力先輩記者の存在や会社の体質に疑問を感じ、退社した。

 

高知県警巡査長が地元紙女性記者に抱きつくなどのセクハラ

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第8号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/05/05/133100

2000年3月の某日、高知県警の巡査長は、同僚数人と飲食中に、高知新聞社の1人の女性記者を呼び出した。記者が帰宅のため乗ったタクシーに巡査長も強引に乗り込み、自宅前で降りた記者に抱きつくなどした。同僚の別の女性記者に相談したところ、その記者も同巡査長からセクハラを受けていたことが判明し、2人で上司に相談。社として県警に抗議し、巡査長は論旨免職となった。

 

公明党神崎代表(当時)がテレビ局女性記者を執拗に食事に誘い…

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第9号

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/05/06/111700

政権与党の一角を占める公明党神崎武法代表(当時)は、1999年秋、某テレビ局政治部の自民党担当女性記者とたまたま国会内ですれ違い、お気に入りとなった。何度か、男性記者と一緒に3人で会食するも、やがて、神崎代表は、彼女を2人きりの会食に誘うようになった。2000年7月、女性記者が高級料理店個室での会食に応じるや、体を寄せてくるなど、神崎代表の言動はエスカレート。

 

大阪府警副署長が、共同通信女性記者をホテルに連れて行き…

 

女性記者セクハラ被害事件簿 第10回

https://syakai-no-mado.hatenablog.com/entry/2018/05/07/133900

2003年7月某日、大阪府警淀川署の副署長は、取材に署を訪れた共同通信大阪支社の女性記者を誘って飲食した。午後11時すぎ、「夜は危ない。遅いからホテルに1人で泊まっていったら」などと言ってビジネスホテルまで連れて行き、客室内で無理やり肩を抱き寄せたり、抱きついたりした。記者が上司に相談して発覚し、社として府警に抗議。府警において迅速に懲戒処分が決定され、副署長は依願退職した。