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女性記者セクハラ被害事件簿 第14号(加害者が自殺した二重に悲劇の事例②)

【加害者】長崎市の原爆被爆対策部長(発覚時は企画部長(59歳))

 

【被害者】20代後半の女性記者

 

【明るみに出たきっかけ】

2007年10月31日に報道される

 

【事案の概要】

 

長崎市の企画部長(59)が原爆被爆対策部長を務めていた7月、取材を通じて知り合った報道機関の女性記者にわいせつ行為をしたことが31日、分かった。

 

 

これは、2007年10月31日の共同通信配信記事の冒頭の一文である。事件の内容の説明に入る前に、加害者と被害者の人物像と、背景状況について簡単に触れる。

 

この部長は1971年、市役所に入り、観光課長や議会事務局長などを経て、2004年に原爆被爆対策部長になった。長崎原爆の日の行事や平和行政、被爆者援護などの責任者を務め、原爆取材の窓口役として記者対応も担当。2007年8月、企画部長に異動した。

 

庁内では「エース」と呼ばれる存在で、ある市職員は「気さくな性格で話し上手。同僚や部下を気軽に飲みに誘っていました。バツイチで最近再婚したそうですが、年齢の割にはおしゃれで、女子職員にも人気がありましたよ」と話す。

 

一方、被害者の女性記者について、ある市幹部は「小柄で普通の女の子という印象しかありませんが、仕事は熱心でした。電話で済ます横着な記者が多い中、彼女は必ず部署まで足を運んでくれた。こちらも協力しようという気になりました」と話す。

 

次に、事件が発生した2007年7月頃の長崎市におけるプレス(報道機関)の状況について説明しよう。毎年、長崎市においては、特別な日に向け、行政は準備で多忙を極め、マスコミ各社も取材合戦がエスカレートする。特別な日とは、言うまでもなく8月9日の原爆祈念日である。(おっと、イケない。「原爆祈念」というと、「汚名挽回」「名誉返上」的な誤用だ。「原爆の日」は、原爆を祈念するのではなく、平和を祈念するのだ。)

 

さらに、この2007年、6月に地元の国会議員である久間元防衛相が「(原爆投下は)しょうがない」発言があり、地元は揺れに揺れていた。部長は当時まさに原爆対応のトップにおり、各社記者が食い込もうと努力するのは当たり前のことであった。

 

事件が起きたのは、7月下旬のこと。女性記者の身に起きたことを、彼女の所属する報道機関は、「部長に携帯電話で呼び出され、行き先を告げられないまま車でホテルに連れ込まれた。女性記者は『取材先との関係を悪くしたくない』と思い、強く反抗できなかったと聞いています」と説明する。そして、「記者は酒は口にしておらず、取材中にこのような事態が発生したものだと考えている。事実関係の調査が必要だが、社としては、強要があった、強姦事件と認識している」と憤り、刑事告訴も検討していたという。

 

このような事件を起こした後、原爆被爆対策部長は、何事もなかったかのように8月1日付で、筆頭部長である企画部長に栄転した。

 

一方、記者は8月中旬以降、体調を崩して休職し、医療機関でPTSDと診断された。

 

【顛末】

10月下旬には、長崎のマスコミ関係者の間で本件が知れ渡り、記事化に向け取材活動が活発化する。

 

地元長崎新聞の取材に対して、加害者である企画部長は、「判断が甘かった。私のことが原因で会社を休んでいるのなら申し訳なく思う」と話し、行為については「地位を利用したものではなかった。仕事上の悩みを心配して、相談に乗っていた」などと弁明した。

 

また、共同通信の取材に対し、企画部長は10月31日に「立場を利用したわけではない。役人としてけじめをつけ、責任は取る。近く辞表を出したい」と話していた。

 

長崎市としては、田上市長が10月30日夜、公舎に企画部長かを呼び出し直接事情を聴いており、さらに調査を進めた上で、懲戒処分も含めて対応を検討しようとしていた矢先に、更なる「悲劇」が発生した。

 

企画部長は、10月31日は、通常通りの出勤であったが、上述のとおり、日中は取材攻勢にあい、憔悴していたことが推測される。日付が変わって11月1日午前1時50分頃、長崎市内の登山道脇で企画部長が首をつり、死亡しているところを警察に発見された

 

ネクタイを7~8本つなぎ合わせ約2メートルの長さにし、登山道脇の木にかけて首をつっていたという。遺書等は見つかっていないが、午後10時頃一緒に食事をした知人に自殺をほのめかすような発言をしていたこともあり、状況から警察は自殺と判断した。

 

深夜になっても帰宅しなかったため、家族が警察に届け署員や知人らが捜索していた。家族が不在時に一旦帰宅した形跡があり、遺体で発見された時はスポーツウエア姿で、運動靴を履いていた。

 

企画部長の自殺を受け11月1日に取材対応した田上市長は、「大変驚いている。」「事実関係を調査するので、(部長には)きちんと対応してほしいと求めていたのだが…。」「市民に心配をかけ、深くおわびする」と話した。

 

【ブログ主のコメント】

本件は、本ブログで取り上げてきた女性記者へのセクハラ事案の中で、2重の意味で最も重たい事案である。

 

1つ目は、本件は明らかに、「セクハラ」という言葉で済まされない性暴力事件であるからである。これまでに取り上げてきたセクハラ事案の中には、女性記者の胸を触ったり、押し倒すなど、報道内容から「強制わいせつ」や「強姦未遂」を示唆する事例はいくつかあった。もしかすれば、これらのケースの中には、実際には強姦に至っていたケースがあるかも知れないが、被害者の人権を考慮してか、被害の詳細はボカした形で報じられてきた。しかし、本件については、女性記者の所属する会社が「強要があった、強姦事件と認識している」と、レイプ被害である旨を断言している点で、他の事例とは異質だ。

 

厳密に言えば、社の見解について「強姦事件ととらえている」などと、「強姦」というドぎつい言葉をダイレクトに報道したのは、西日本新聞ZAKZAK夕刊フジ)など一部にとどまり、読売新聞は「婦女暴行事件だととらえている」と表現を加工し、朝日新聞に至っては「事件ととらえている」という過度な自主規制で意味不明の記載となっている。

 

ところで、事件が発生する前には、加害者である部長と被害者である女性記者の2人が、市内の居酒屋などで同席する姿が何度か目撃されていた。このため、本件は、女性側が一方的な被害者ではなく、ホテルに行ったのは両者の合意の上での出来事だったのではないか、とする陰口も関係者(「関係者」というタームはマスコミが好んで用いるが、ここでは市役所や長崎の記者のことを指す)の間で存在したようだ(本ブログの末尾の付記参照)。

 

だけど、性暴力被害者支援団体に寄せられる相談の8割は、加害者が、知人や友人、会社の関係者だったというケースなのだ。レイプは、必ずしも見知らぬ人から突然襲われるものではなく、知り合いから被害を受けるケースも多いのが現実である。さらに後者の場合のほうが、周囲の人との関係に気づかい警察などに相談しづらく、泣き寝入りしたり、「抵抗しなかった自分が悪い」などと自責の念から心の傷を負いやすいといった指摘もある。

(参考)性暴力の8割「知人から」…被害者支援の弁護士「自分を責めないで」 - 弁護士ドットコム

 

なので、部長と女性記者が知己であったことがレイプではないことを意味するものではなく、女性が精神的ショックを負ったことからも、トラウマとなる重大な加害行為があったことは間違いない。ともあれ、合意の上ではないか、といった陰口が周辺で存在したことも、女性記者の会社が「強姦事件」だと異例の強いトーンの抗議を行った要因なのだろう。

 

本件が「重い」事案であることのもう1つの理由は、加害者である長崎市部長が自殺したことだ。女性記者への加害が発覚した後、加害側の男性が自死したケースは、過去にもう1例存在する。本ブログ「女性記者セクハラ被害事件簿第6号」で取り上げた北海道警静内署長の2000年のケースだ。その時のブログ記事にも書いたが、自死した静内署長は、根っからの悪人ではなく、ふだんは同僚や後輩から慕われる良き社会人だったに違いない。根っからの悪人であれば、しらばっくれて自らの非を認めず、自殺などしない。むしろ、被害者に逆切れしてハメられたなどと責任転嫁しかねない。レイプ魔・山口敬之みたいに。

 

今回の長崎市部長も、「気さくな性格で話し上手」「年齢の割にはおしゃれ」といった市役所職員の人物評からもわかるように、決してワルではない。ワルではないからこそ、命を絶つという選択をしてしまったのであろう。けれと、命で償うという選択は誰にとってもハッピーとならない。むしろ、残された家族や同僚、さらには被害者のことを考えれば、最悪の結末だ。

 

本件も、ずっしりと重く、やるせなさが残る事件であるが、せめてもの救いは、女性記者がPTSDから立ち直って職場復帰したことだ。朝日新聞2012年9月24日朝刊の長崎版の記事に、女性記者は「長崎には何もなかった」と話して県外に転勤した、という消息が記されている。(2022年1月追記:当該女性記者は、一旦復帰はしたものの、なかなかPTSDから立ち直ることができず長期療養中のようだ。2019年には長崎市を相手に訴訟を提訴し、近く地裁判決が言い渡されるようである。)

 

最後に、不快感極まりない文章を参考までに転載する。本件を扱った2チャンネルのスレッドにおいて、おそらく、同業他社のマスコミ関係者が書き込んだものと思われる被害者に対する中傷記事である。書き手の憶測に基づく虚偽記載の部分もあると推測されるが、単なる興味本位としてではなく、このような文章が人の目にさらされた事実も含め社会への問題提起として、敢えて、この文章を載せることとする。

 

わいせつ行為から女性記者の休職まで「一月」の間がある。夏休みも入れてもその間普段どおりに職務に当たっていた訳だ。

おそらく生理が来ないで慌てふためいた女性記者が市役所部長に話し合うも相手にされずに傷つき、そして堕胎の已む無き事態となり傷心の末に職場を休職。

上司にも不倫関係があったことを言えずに「無理やり」わいせつな行為をされたと男性に全ての責任をかぶせる発言をしたということ。

それで報道機関の上司も悩みつつ警察に相談。警察も単なる不倫か暴行か判断がつかず、とりあえず市役所部長に事情説明を求めたものと見られる。

この報道機関も普段は実名報道の重要性を訴えてきているだろうが、数ヶ月間事実を伏せ、今尚女性記者の名前も相手男性の名前を出さないという「実名報道の恣意的運用」を平然としている点に注目せねばならない。

そして、他の報道機関の人間も女性記者が長く休んでいる背景ぐらいは記者仲間としてうすうす感づいていても、同業他社の不祥事は本来きちんと報道すべきことも見て見ぬ振りをし続けてきたという庇い合い体質を浮き彫りにしたものである。

 

【予告】

次回は、新潟県の山奥のある村での村議のセクハラ発言について取り上げる。

 

【出典】

・『共同通信』2007年10月31日配信記事

・『読売新聞』2007年11月1日夕刊、2日朝刊

・『朝日新聞』2007年11月2日朝刊(長崎地方版)

・『長崎新聞』2007年11月1日朝刊

・『西日本新聞』2007年11月1日夕刊

 

 

【ブログ内の関連記事】

・セクハラ、レイプ、不倫が頻発する女性記者という職業
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・女性記者セクハラ被害事件簿 第6号
 加害者が自殺した二重に悲劇の事例①(北海道の事例)
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・女性記者セクハラ被害事件簿 第11号から第20号までの概要
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