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社会ノマド、社会の窓、流浪しながら漂泊する社会を見つめます

被災者支援ボランティアへの問い お前、なんぼのもんじゃい? 

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全く無益なド素人によるボランティア活動

 

 

ブログ主は、今般の西日本豪雨に関連し、

7月10日に、

豪雨被災を巡る、愚かな倉敷市長発言と、愚かな朝日新聞・小沢邦男記者の記事

7月11日に、

豪雨被災を巡る、倉敷市長の愚かな発言と、朝日新聞・小沢記者の愚かな記事の顛末

7月13日に、

被災者支援、迅速な救命救助を妨げる10の迷惑行為

という3つの記事を書いた。

 

今回も、引き続き西日本豪雨関連の記事として、ボランティア活動について触れることとする。

 

 

7月14日から3連休が始まり、被災地には、ボランティアと称する「烏合(ウゴウ)の衆」が大挙して押しかけているようだ。烏合の衆が大挙して押しかける、という表現自体に、ブログ主が、ボランティア活動について極めてネガティブな印象を持っていることが理解いただけると思う。

 

ただ、誤解していただきたくないのは、ブログ主としては、必ずしも、ありとあらゆるボランティアを否定するものでは決してない。被災地又はその周辺地域に居住し現地の地理的状況や地域特性をある程度理解した近隣住民が、相互扶助、互助の精神に基づいて避難生活者に対し支援活動を行うことは肯定的に受け止めている。また、各種専門的なスキルを有するスペシャリストが、ボランティアとして遠方から支援に駆けつけることも、非常に賞賛すべきことである。

 

問題は、ロクな専門的技能を有しないド素人で、地理的に遠く離れた場所から被災地に乗り込み、日帰りか、せいぜい2~3日だけ現地に滞在して去っていくだけの、にわかボランティアの連中だ。彼らは、自らの行動が、善意からの奉仕の精神に基づく公共的・公益的な利他活動であると思い込んでいるようであるが、現実は、被災者への緊急対応や本格的な復興活動を阻害する自己チュウで独りよがりの愚行に過ぎない。

 

関西弁に、「お前、なんぼのもんじゃい?」という表現があるらしい。「なんぼ」とは、「値段はいくらか」「金銭的価値はどの程度か」という意味であり、知人は、これを「How much are you?」と英訳していた。ともあれ、標準語では「あなたは、どれだけの価値がある人間なのか」ということだ。

 

で、だ。ボランティア志願者に、この問うてやりたい。「お前、なんぼのもんじゃい?」と。

 

西日本で豪雨が続く同じ時期に、タイのチェンライでは、洞窟の中に2週間以上閉じ込められた13人の少年に対する決死の救出作戦が展開されていた。洞窟内で英雄的な救出作業に直接従事したのはタイ海軍の特殊部隊に加え、世界中からボランティアで集まったプロのダイバー達である。その一人、オーストラリアの医師でありダイバーでもあるリチャード・ハリス氏は、洞窟の奥深くまで潜水して少年たちを診察し、救出に耐えることができるかの判断に貢献したことが世界中に知れわたった。

 

ブログ主が主張したいことは明らかだと思うが、災害の現場で必要とされるボランティアとは、プロであってアマチュアではない。リチャード・ハリス医師のようなスーパーマンでなくても、何かしの技能を持つスペシャリストでないと、遠方から被災者に駆けつける意味など全くない。

 

ガレキ撤去もナメてはいけない。安全で効率的に作業をするには、高度な職人芸が必要である。にわかボランティアが作業に従事したところで、効率は悪いし、怪我や熱中症、あるいは作業を投げ出すリスクもあるので、危なっかしい厄介者なのだ。被災地の行政は、ホンネでは、ガレキ撤去の作業にボランティアなど全く求めていない。解体作業や廃棄物処理の専門業者に有償で作業発注したほうが、よほど安全で確実だから、である。

 

知り合いの大学教授(工学部)は、3.11の後、ボランティアとして震災現場に赴きたいと休校を申し出た学生にこう諭したそうだ。「君たちが現地に行って、何ができるというのだ。現地で足手まといになるだけだ。被災者を手助けしたいという気持ちがあるのであれば、君たちが今やるべきことは、現地に行くのではなく、将来同様の震災が発生したときに、被害が拡大しないよう防災・減災の観点から強靭な都市構造を構築するにはどうすべきか、一生懸命勉強することだ」と。看護学の教授からも同様に、ボランティアに行きたいと申し出た看護学生に対し、「今、君たちが現地に行っても何の役にも立たないよ。それよりは、将来、災害現場で役に立つエキスパート・ナースになれるように、今は学生の本分として勉学に励みなさい」と諌めたと聞いた。全く持って正論だ。

 

だいたい世論は、被災地に赴く大学生に寛大、というか賞賛する傾向にあるが、ナンセンスなんだよ。「人助けをしたい」などと称してボランティアを志願する学生なんて、自己満足の偽善者に過ぎぬ。中には、全く別の動機で被災地に向かう学生も少なくない。アイデンティティ・クライシス状態の中で、半ば現実逃避的な「自分探し」「自己啓発」を一義的な目的とした被災地入り。あるいは、単なる野次馬的な物見遊山、体験型アトラクション感覚での被災地入り。あるいは、異性との出会いを目的とした被災地入り。「ボランティアに出向く人(異性)は、きっと正義感や思いやりの強い人に違いない。そんな素敵な男性(女性)を彼氏(彼女)にしたい。いい出会いがあるかな。ドキドキ、ワクワク。」てな感じで。

 

ともあれ、これら利己的のニセ・ボランティアの方が、「人助けをしたい」などと正義感や利他性を振りかざしつつ、自らが被災地で迷惑をまき散らしていることに無自覚な連中よりは、よっぽど健全のように思えてしまう。

 

最後に、

このブログ記事の読者からは、次のような問いかけが聞こえてきそうだ。

高邁なボランティア志願者に「お前、なんぼのもんじゃい?」とディスっているお前こそ、いったい、なんぼのもんじゃい、と。