syakai-no-mado

社会ノマド、社会の窓、流浪しながら漂泊する社会を見つめます

女性記者セクハラ被害事件簿 第9号

 

f:id:syakai-no-mado:20180504164149j:plain

 

 前回の女性記者セクハラ被害事件簿 第8号では、高知県警の巡査長によるセクハラ事案を紹介したが、今回は、大物政治家(当時の公明党代表)による女性記者へのセクハラ事案について振り返る。

  

【加害者】公明党神崎武法代表(当時)

 

【被害者】記者として数年のキャリアを積んでいたテレビ局女性記者

 

【明るみに出たきっかけ】

週刊ポスト』2000年9月1日号でのスクープ報道

 

【事件の概要】

 「神崎さんが、気に入った女性記者を食事に誘うことは珍しいことではない。ただし、女性と2人きりになることはほとんどなく、たいていは男性記者もひとりは呼ばれて3人で食事をする。誤解を受けることを警戒しているのだろうが…」

 

大手新聞の神崎番記者は、『週刊ポスト』の取材に対して、神崎武法公明党元代表についてこう語る。さすが検事出身の神崎代表とあって、セクハラと騒ぎ立てられないように危機管理には日頃から気を遣っていたようだが、彼女の場合だけは違った。

 

「彼女」とは、神崎番記者ではなく、コトを起こす前年(1999年)の秋にたまたま国会内ですれ違った某テレビ局政治部の自民党担当女性記者である。

 

この女性記者に一目惚れした神崎代表は、彼女と同じ放送局の男性番記者の仲介で、何度か一緒に食事をするようになった。女性記者は、同じ局の番記者の立場や、自分の自民党担当しての取材上、神崎氏と気軽に取材できる関係を保つことが得策と考えていたようだ。

 

そのうち、神崎氏から女性記者に電話してくるようになり、食事に誘われる回数も次第に多くなったという。彼女は、極力2人きりで会うことを避けようとして断り続けていた。それでも、神崎代表は諦めることなく、春頃からは一層誘いに熱が入るようになった。

 

2000年の春といえば、政界は、小渕敬三総理が脳梗塞により緊急入院し、森善朗が総理に就任するも、森の選任手続きが「密室政治」を批判されるなど、政界が荒れに荒れていた時期にあり、6月2には衆議院解散、6月25日は総選挙が行われていた、そんな時期である。

 

神崎代表からの誘いに抗しきれなくなった彼女は、総選挙後の最初の土曜日である7月1日に、西麻布にほど近い京料理店の個室で2人きりで会食することとなった。食通にはふぐの旨いことで名が通っている高級料理店で、企業トップ同士の商談や、著名人の密会の場として知る人ぞ知る店のようだ。

 

料理店での会食時の様子などを、『週刊ポスト』の記事から引用する。

 「2人きりだと楽しいね」

 神崎氏ははしゃいだ言い方を連発していたという。

「……冗談はおやめ下さい。」「奥様に叱られますよ」

 などなど、女性記者はなだめすかし、身をかわしていたらしい。

「今夜は妻はいないんだ。ね、頼む」

女性記者には、神崎氏がそんな風に迫る言い方をして頭を下げた記憶があるという。

 

テーブルをはさんで向かい合っていた神崎氏は、食事の途中で彼女の隣に座り、体を寄せてきた。親密さを強調するように、頬を近づけてくるような仕草もあったとされる。女性記者は神崎氏が次第にエスカレートする様子に危険を感じ、食事も早々と料理屋を出た。

 

その夜以降も、神崎氏は彼女の携帯電話にしばしば「次はいつがいいか」と連絡してきたという。

 

民放の元公明党担当記者の話によると、

「彼は以前から女性記者にはやさしかったが、党のトップになってからは、ちょっとエスカレートしているみたいだね。件の女性記者にご執心なことは番記者には知れ渡っているし、デートしたという話も聞いている」

というように、表にこそ出ないが、関係者の間では周知のこととなっていることがわかった。

 

【顛末】

本件は当時、社会的関心を集めることなく、本件をもって、代表を解任されるなど政治生命に何ら影響を受けることなく、2006年まで公明党代表を務めた。

 

本件について、神崎氏の言い分が『週刊ポスト』に載っている。 

「政治部の記者とは男性・女性を問わず懇談する機会は多くありますが、あくまで政局についての意見交換で、誰とどのような話をしたのかは、いちいちお答えできない。

 

-自宅に来るように誘ったのではないか。

「自宅には息子、娘が同居しており、どのような時でも記者を自宅に入れたことはありません。従って、どの席でも誘ったことはありません。」

 

-セクハラ的言動があったことを認めるのか。

「誰に対しても全くありません。」

 

 ちなみに、本件セクハラ報道を難なく乗り越えた神崎代表は、翌年の公明党のCMで、「そうはいかんざき」というダジャレの名言まで残している。

 

【ブログ主のコメント】

 何度も拒否されてもくじけず誘い続け、ようやく2人きりの会食に誘い出すことに成功した色ボケジジイは、その時点で、相手の女性が自分のモノになったと勘違いしてしまったのであろうか。

 

大物政治家と女性記者の間のスキャンダルは、週刊誌が大好き、というよりもゴッシプ好きな小市民が大好きなテーマで部数が伸びるネタであり、時々、週刊誌で取り上げられる話題である。後日取り上げるが、別の政党の大物政治家のセクハラ疑惑報道では、裁判にまで発展している。

 

ともあれ、女性記者と大物の2人きりの会食が、一般的な取材対応に過ぎないのか、はたまたハニートラップ的な謀略的取材対応なのか、社会通念的に何ら問題のないフリーの男女のデートなのか、はたまた不倫デートなのか、あるいは相手が拒否できないことに付け込んだセクハラ強要なのか、想像力が掻き立てられるものである。

 

神崎代表によるケースは、男性側が大物政治家か高級官僚であるかの違いはあるが、2018年4月に社会問題化した財務省事務次官による民放女性記者へのセクハラ騒動と、コトの性質や週刊誌の報道で明るみに出たことなど全く同じ図式だ。

 

では何故、今般の福田事務次官のセクハラ騒動では大きな社会問題となったのに対し、神崎代表の事案では当時大きな問題とならかったのであろうか。この点については、「社会問題の社会学」や「批判的ジャーナリズム論」的視点からは大変興味深い論点であるが、当時は、政局が不安定化する中でもっと大きな社会テーマが存在し、神崎代表によるセクハラなんぞには社会的関心が集まらなかったのであろう。

 

で、最後に2点付言。

 

まず1点目。神崎代表と会食した女性記者とは誰か。筆者は基本的に、被害者(女性側)が誰かを探し当てるようなゲセワなことはしない、が、正直気にはなる。『週刊ポスト』の記事では、某テレビ局の記者で、「数年のキャリアを積み、社内でもやり手として評価されていた」とある。一瞬、民放かと思ったが、もしかすればNHKか。NHKで、2000年の時点で数年キャリアの女性記者といえば、も、も、もしかして、あの有名な岩田明子氏!?岩田氏は森総理番をやっていたはず。ちょっと調べてみたが、岩田氏が岡山から政治部にあがってきたのは2000年のようなので、1999年秋にはまだ国会にはいない。結局、岩田氏ではないようだ。

 

付言2点目。去る4月26日に、神崎氏は、2010年に政界を引退して以降初めてテレビに出演し、その際、な、な、なんと前財務事務次官のセクハラ疑惑に関連した発言もあったようだ。時事通信の記事から引用する。

公明党神崎武法元代表26日のBS日テレの番組で、前財務事務次官のセクハラ疑惑や財務省の決裁文書改ざんなど、相次ぐ安倍政権の失態に関し「(対応が)後手後手に回っている印象だ。政治不信が極度に達している」と指摘した。その上で「(影響は)じわじわ効いてくる。いま対応すべきはきちんと対応しないと来年の統一地方選参院選は大変厳しくなる」と述べ、信頼回復を急ぐよう求めた。

神崎氏は、山口那津男代表に対しても「(安倍晋三首相に)もっと厳しく言っていい」と注文を付けた。神崎氏によると、2010年に政界引退して以降、テレビ出演は初めて。(出典:時事通信社2018/04/26-23:41)

自らのセクハラのことは棚にあげておきながら、全く同じ手口の財務事務次官のセクハラを批判するのは、いかんざき!! 

 

【予告】

次回は、大阪府警の副署長(警視)による通信社女性記者に対するセクハラ事案を取り上げる。